創業者の新川柳作が、大阪市天王寺区にカバン製造卸業「新川商店」を開業する。
兵役を終えた後、新川柳作は「株式会社新川柳商店」を設立する。
商品のブランド名として「エース」商標を選定。
「No.1」、「第一人者」、「最高のもの」という想いを込めた。
また当時の野球人気から、チームで最高の投手である「エース」という意味合いも含まれた。
東洋レーヨン(現:東レ)が開発した新素材「東レナイロン」を生地にしたバッグを
日本で初めて開発し、発売。
カラフルで軽く、強度があり、汚れが簡単に落ちるという特徴は大人気となり
「バッグの一大革命」とまで言われた。
この革新的な商品が、すべてのエース製品の原点。
新川柳作は市場拡大と業界視察のため、世界一周旅行に旅立つ。
アメリカからヨーロッパ、中近東、東南アジア、香港をまわる3ヶ月の旅。
ここでアメリカのラゲージメーカーである、
シュワイダーブラザーズ社(現:サムソナイト)に出会う。
ナイロンに続く新素材として発表された合成皮革「東レデラクール」は軽量で耐久性があり、
天然皮革に近い質感を持つ。
エースはこの素材を業界で初めてバッグに採用し、商品を開発。
この画期的な発明は、レジャーブームの中で大きな人気を博した。
その後エースは、従来カバンには使用されなかった数々の素材をいち早く採用し、
カバンの新しい時代を築いた。
社名をエース株式会社に変更。
1960年、シュワイダーブラザーズ社と日本総代理店契約を結び、スーツケースの輸入販売を開始。
1964年には技術提携を行い、神奈川県小田原市で
スーツケース「シルエット」の国内生産を開始した。
同年、東京オリンピックが開催され、海外旅行が自由化されるとともに、
日本人の海外旅行が本格化していく。
素材から一貫製造した純国産のスーツケースである「デボネア」を発売。
機能性やデザイン、価格など、日本人のニーズに合わせて作られた
国産のスーツケースは爆発的な売れ行きを示す。
アメリカのスポーツの殿堂であるマジソンスクエアガーデンをイメージしたマジソンバッグは、日本初のローマ字入りスポーツバッグとして大ヒット。他社類似品も含め2000万本が販売された。
現在でも20世紀を代表する伝説のスポーツバッグとして語り継がれている。
右下に入るACEロゴがオリジナル版の証。
アジア初として大阪で開かれた日本万国博覧会の大阪生活産業館に
「世界の旅と人形」をテーマにして業界で唯一の出展。
当時の皇太子ご夫妻の来館も賜りご高覧いただいた。
大阪万博を記念して作られたバッグでは、
当時エアショルダーと呼ばれた人気の形状に万博ロゴが入って大人気であった。
北海道赤平市にスーツケースの生産を担う
エースバッグ(現:エースラゲージ)赤平工場が完成し増産体制が整う。
かつてここには炭鉱があり、その際に使っていた建物を活かしながら建設された。
商品テスト機関であるエース品質管理研究所(A.T.I.)も併設されている。
カバンや靴といった皮革関連産業が盛んだった浅草に、エース東京駒形ビルが完成。
東京駒形ビル内に「世界のカバン館」をオープン。
世界中から集められた550を超えるバッグが収蔵されており、
バッグを文化的な視点から見ることができる。
2010年「世界のカバン博物館」としてリニューアル。
新川柳作が1977年に訪中団の副団長として初めて中国を訪れる。
多くの親切心に触れ、また中国の潜在力を実感した柳作はカバン作りを通じて恩返しをしようと、
その後、工業用ミシンや技術監督者などの人的・物的資源を贈り、
1979年12月には上海にて委託加工方式の工場を設立した。
当時は現地の縫製レベルがまだ高くなく、中国製を売ることなど考えもしなかった時代だが、結果的に異例の早さでの海外生産進出となり、エースの事業規模拡大につながっていった。
創業50周年を記念して、現在のエース企業ロゴを制定。
大阪市中央区博労町にエース大阪本店ビルが完成。
エースグループの物流を担う、エース物流サービス株式会社を設立。
日本のビジネスシーンをリードするバッグブランド「ACE GENE」(現:ace.)を発売。
ブランド名である「ACE GENE」は、エースが創業以来培ってきたカバン作りの経験とノウハウ、
すなわち「エースの遺伝子」を意味している。
当時はまだ革製のブリーフケースが普通だった時代に、先進技術に基づく高い機能性を備えたナイロン製の商品で、ビジネスマンのパフォーマンスを向上させた。
日本でのスーツケース生産を開始して40年が経過した2004年、
新ラゲージブランド「プロテカ」を12月に発売。
日本製ならではの高品質な物づくりで、次世代のラゲージに挑戦していく。
写真は、世界的デザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロ氏との
協業モデルである「マニフィコ」シリーズ。
米国ゼロハリバートン社を買収。
株式会社エーストレーディングを設立。
渋谷区神宮前にエース東京本社を移転。
同年、エースサービス株式会社を設立。
ACE ITALIA S.R.L. を設立。
同年、環境負荷削減への取り組みとして、2000年より行っていたスーツケースのリサイクルの仕組みを、恒常的な「エースリサイクルプロジェクト」としてスタート。
ACE HONG KONG LUGGAGE Co., Ltd. を設立。
株式会社グローバルプロジェクト(現:エース商事株式会社)を設立。
世界で活躍するデザインオフィスnendoの佐藤オオキ氏をクリエイティブディレクターに迎え、
「プロテカ」をリブランディング。
同時に佐藤オオキ氏は、「360」という画期的な新シリーズをデザイン。
このスーツケースは360度の全方向から開閉することができ、
スーツケースの歴史に新たなページを開いた。
エースの創業75周年と新川柳作の生誕100周年を記念して「新川柳作記念館」を開館。
記念館では、創業者の生涯とその事業、ヒット商品の一連の展示などに加えて、エースやバッグ業界の発展の歴史が展示されている。
日本の美意識と精神にインスパイアされた新ブランド「ace.」がデビュー。
「すべての移動を旅と捉え、その旅を快適にする最適なカタチを提供する」
というコンセプトに基づき、旅行用スーツケースからビジネスバッグ、
カジュアルバッグまで様々なアイテムを総合展開している。
Zero HALLIBURTON (China) Co., Ltd.を設立。
本体にモバイルバッテリーとトラッキング機能を備えたスマートラゲージ、
プロテカ「MAXPASS SMART」シリーズを発売。
IoT時代の到来に伴い、スーツケースの新しい機能と役割を検証し、開発を行った。
ace.ブランドから「ガジェタブル」シリーズが発売。
ビジネスシーンでもリュック形状がスタンダードとなるにしたがって、
通勤電車でのカバンの持ち方マナーが社会問題に。
「前持ちリュック」として複数の持ち方を提案したところ、大ヒット商品となった。
以降、電車内でのマナーは改善され、世の中の人々の通勤スタイルに社会変化をもたらした。
プロテカ史上、最も軽量なコレクションである「Aeroflex Lite」を発売。
このケース用に新しく開発されたポリプロピレン繊維・グラスファイバー複合素材「Ultra String」により、機内持ち込みサイズで1.7 kgという驚異の軽さと強さを実現した。
ACE Bags & Luggage Taiwan Co., Ltd.を設立。
大峽製鞄株式会社を買収。
エース創業80周年。次世代のトラベルソリューション企業を目指し続ける。
ゴルフを「日常の旅」と捉え、ゼロハリバートンのゴルフコレクションを発売。
旅とゴルフを愛する大人達に贈る、シックでスタイリッシュなゴルフスタイルを提案。