1910年(明治43年) | |||
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1911年(明治44年) | |||
1912年(大正 1年) | |||
1913年(大正 3年) | |||
1914年(大正 4年) | |||
1915年(大正 4年) | 1915年7月31日新川柳作(幼名 勝義)誕生 |
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1916年(大正 5年) | |||
1917年(大正 6年) | 1917年12月父 與重他界 | ||
1918年(大正 7年) | 1918年11月第一次世界大戦終結 | ||
1919年(大正 8年) | |||
1920年(大正 9年) | 1920年11月国際連盟を創設 | ||
1921年(大正10年) | |||
1922年(大正11年) | 1922年4月松任尋常高等小学校入学 | ||
1923年(大正12年) | 1923年9月関東大震災 | ||
1924年(大正13年) | 1924年第1回冬季オリンピック開幕 | ||
1925年(大正14年) | 1925年3月普通選挙法成立 | 1925年少年野球に熱中する |
|
1926年(昭和 1年) | |||
1927年(昭和 2年) | 1927年12月日本初の地下鉄開通。 | ||
1928年(昭和 3年) | 1928年3月松任尋常高等小学校卒業 植野家へ養子を前提に奉公 |
||
1928年9月植野家を去る 松任尋常高等小学校高等科に編入 水泳の飛び込みに熱中 |
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1929年(昭和 4年) | |||
1930年(昭和 5年) | 1930年3月松任尋常高等小学校高等科を卒業 | ||
1930年4月松任商工学校へ入学 | |||
1930年9月松任商工学校を退学 造り酒屋柄崎屋に奉公 |
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1931年(昭和 6年) | 1931年満州事変勃発 | 1931年2月造り酒屋柄崎屋を去る | |
1931年12月長兄・重信を頼り、大阪に出る | |||
1932年(昭和 7年) | 1932年4月鞄嚢卸・株式会社加藤忠商店に入社 |
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大阪市立船場商業実践学校への夜間通学を始める | |||
1933年(昭和 8年) | 1933年3月日本、国際連盟脱退 | 1933年3月大阪市立船場商業実践学校を卒業 | |
1934年(昭和 9年) | 1934年生産担当と仕入れの一部をまかされる | ||
1935年(昭和10年) | |||
1936年(昭和11年) | 1936年2月2・26事件 | 1936年郷里・松任で徴兵検査 | |
1937年(昭和12年) | 1937年日中戦争勃発 | ||
1938年(昭和13年) | 1938年4月国民総動員法公布 | ||
1939年(昭和14年) | 1939年9月株式会社加藤忠商店を依願退職 | ||
幼名勝義を柳作と改名 | |||
1940年(昭和15年) | 1940年9月日独伊三国同盟締結 | 1940年1月新川柳作、大阪市天王寺区谷町9丁目にてカバン製造卸業を創業 | |
1941年(昭和16年) | 1941年12月太平洋戦争勃発 | 1941年3月同郷の松田敏子と結婚 |
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1942年(昭和17年) | |||
1943年(昭和18年) | 1943年1月長女 佐陽子誕生 | 1943年7月徴用令により自主廃業 | |
1944年(昭和19年) | 1944年6月金沢第九師団に入営 | ||
1945年(昭和20年) | 1945年8月広島・長崎に原爆投下 | 1945年9月長男 賢一郎誕生 | |
1945年8月終戦 | |||
1946年(昭和21年) | 1946年11月日本国憲法公布 S22.5.3施行 | 1946年1月大阪市東成区大成通りでカバン製造卸業を再開 | |
1947年(昭和22年) | 1947年4月6・3・3・4制男女共学の新学区制実施 | 1947年7月次男 皓介誕生 | 1947年12月大阪市東区(現中央区)北久宝寺町4丁目に店舗を移転 |
1948年(昭和23年) | |||
1949年(昭和24年) | 1949年4月1ドル360円の単一為替レート | ||
1950年(昭和25年) | 1950年6月朝鮮戦争勃発 | 1950年12月資本金150万円で「株式会社新川柳商店」設立 社是制定 社員持ち株制度を導入 |
|
1951年(昭和26年) | 1951年松任小学校児童へランドセルの贈呈を始める | ||
1951年12月三男 晃生誕生 | |||
1952年(昭和27年) | 1952年吉川英治氏と出会う | 1952年12月「エース」商標を選定 | |
1953年(昭和28年) | 1953年2月テレビ本放送 | 1953年2月東京店を台東区浅草桂町4丁目に開設 | |
7月 1日東レナイロンエースバッグ発売詳 細 |
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1954年(昭和29年) | 1954年6月自衛隊発足 | 1954年3月大阪・中之島の新大阪ホテルでナイロンバッグの新作発表会を開催 大成功を記念して、翌年から創業記念日を3月3日に改める |
|
1955年(昭和30年) | 1955年11月自由民主党結成 | 1955年大阪府知事賞を受賞 | |
1956年(昭和31年) | 1956年10月日ソ国交回復 | 1956年6月西田天香師と知遇を得る | 1956年6月経営の根本理念を制定 |
1956年12月国際連合加盟 | 1956年11月東レナイロンエースバッグが大阪工業奨励館において天覧を賜る |
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1957年(昭和32年) | 1957年3月「会員相互の扶助と親睦を図る」目的で新友会を発足 | ||
1958年(昭和33年) | 1958年12月1万円札発行 | 1958年9月新川柳作、市場拡大と業界視察のため世界一周に旅立つ(~12.11) |
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1959年(昭和34年) | 1959年4月皇太子(現天皇)ご成婚 | 1959年12月大阪市東区博労町5丁目(現中央区博労町4丁目)に商品管理部が完成 | |
1960年(昭和35年) | 1960年9月カラーテレビの本放送開始 | 1960年3月母 ふで他界 | 1960年3月有馬(月光園)で創業20周年記念式典を開催 |
1960年4月米国シュワイダーブラザーズ社(現サムソナイト社)と日本総代理店契約締結 | |||
1960年10月浅沼社会党委員長刺殺事件 | 1960年7月東レデラクールエースバッグを全国一斉に発売 |
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1960年7月生産部門としてエースカバン株式会社を設立 | |||
1961年(昭和36年) | |||
1962年(昭和37年) | |||
1963年(昭和38年) | 1963年11月ケネディ米大統領暗殺 | 1963年1月エース名言集を発刊 | |
1963年1月大阪本社ビルが完成 地上9階、地下2階 |
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1963年8月社名を「エース株式会社」に変更 | |||
1964年(昭和39年) | 1964年4月海外旅行自由化 | 1964年3月名古屋出張所を開設 | |
1964年10月東海道新幹線開業 | 1964年6月エースカバン小田原工場が完成 | ||
1964年10月東京五輪開催 | 1964年9月シュワイダーブラザーズ社との技術提携契約が正式に成立 |
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1965年(昭和40年) | 1965年3月創業25周年を記念して社内報「エース時報」(現「エースニュース」)を発刊 | ||
1966年(昭和41年) | 1966年1月戦後初の赤字国債発行 | 1966年6月通産省から「輸出貢献企業認定証」を授与される(その後、昭和44年まで毎年授かる) | |
1966年3月日本の総人口が1億人を突破 | 1966年10月エースカバン小田原工場新館が完成 | ||
1966年 国産スーツケース「デボネア」が完成詳 細 |
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1967年(昭和42年) | 1967年7月EC成立 | 1967年5月大阪府産業功労賞を受賞 | 1967年3月サムソナイト・デボネアを全国一斉に発売 |
1968年(昭和43年) | 1968年12月3億円事件 | 1968年3月新潟県鼓岡、関川小学校へパトランドセル寄贈(前年8月洪水被害) | 1968年2月エースカバン株式会社、「エースバッグ株式会社」に社名変更 |
1968年4月エース工業株式会社を設立 | |||
1968年8月パトランドセルがPTA全国協議会の推薦商品に指定される | |||
1968年9月札幌出張所を開設 | |||
1969年(昭和44年) | 1969年7月アポロ11号が月面着陸 | 1969年3月エース社歌を発表 | |
5月台湾の高雄前鎮加工出口区に台湾愛思化学皮包股份有限公司を設立 | |||
1970年(昭和45年) | 1970年3月日本万国博覧会開幕 | 1970年3月福岡店を開設 | |
1970年3月日本万国博覧会・生活産業館へ「世界の旅と人形」をテーマに業界で一社の単独出展 |
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1970年11月三島由起夫事件 | 1970年5月創業満30周年記念式典を全社をあげて大阪毎日ホールにて開催 | ||
1971年(昭和46年) | 1971年8月ドルショック | 1971年2月東大阪配送センターを新設 | |
1971年7月エースバッグ北海道赤平工場の完成披露式を開催 | |||
1972年(昭和47年) | 1972年5月沖縄返還 | ||
1972年9月日中国交樹立 | |||
1973年(昭和48年) | 1973年2月円変動相場制 | 1973年3月韓国エースを設立 | |
1973年4月小田原流通センターが完成 | |||
1973年10月石油ショック | 1973年5月現在の東京店が完成 地上8階地下1階 | ||
1974年(昭和49年) | |||
1975年(昭和50年) | 1975年7月沖縄海洋博開幕 | 1975年9月東京店8階に「世界のカバン館」を開設 |
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1976年(昭和51年) | 1976年2月ロッキード事件 | 1976年4月新川柳作、大阪鞄協会会長に就任('84.3.31まで) | 1976年2月エースバッグ株式会社、「エースラゲージ株式会社」に社名変更 |
1976年10月新川柳作、藍綬褒章を受章 |
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1977年(昭和52年) | 1977年6月新川柳作、日中親善推進委員会中国友好訪中団の副団長として訪中 | ||
1977年6月箕面市船場に箕面流通センターが完成 | |||
1978年(昭和53年) | 1978年5月成田空港開港 | ||
1979年(昭和54年) | 1979年1月第2次石油ショック | 1979年12月委託加工方式(合作)の上海友誼箱包工場を設立詳 細 |
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1980年(昭和55年) | 1980年7月西側不参加のモスクワ五輪開幕 | 1980年3月大阪(厚生年金会館)で創業満40周年記念式典を開催 | |
1980年3月同、東京(浅草公会堂) | |||
1980年4月会長に新川柳作、社長に川元定治郎、副会長に新川重幸がそれぞれ就任 | |||
1981年(昭和56年) | 1981年11月広島出張所、仙台出張所開設 | ||
1982年(昭和57年) | 1982年4月500円硬貨発行 | ||
1982年6月東北新幹線開業 | |||
1983年(昭和58年) | 1983年4月東京ディズニーランド開園 | 1983年2月「世界のカバン館」来館者1万人を突破 | |
1984年(昭和59年) | 1984年3月グリコ・森永事件発生 | 1984年5月新川柳作、日本鞄協会理事長・全国鞄協会会長・大阪鞄協会理事に就任('88.3.31まで) | 1984年5月ロス五輪参加選手役員にエクステック贈呈 |
1984年8月赤平市産業功労賞を受賞 赤平市の学校へ本の寄贈を始める |
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1985年(昭和60年) | 1985年8月日航ジャンボ機墜落 | 1985年10月第2回 国際デザイン展「デザインサーカス'85」に出展 | |
1985年11月上海ACE箱包有限公司(合作)の新工場完成 | |||
1986年(昭和61年) | 1986年4月ソ連チェルノブイリ原発事故 | 1986年3月第1回 エースカップ滑降競技大会を赤平山スキー場にて開催(以後第16回大会まで) | |
1986年12月岡山県久米郡に岡山研修センターが完成 | |||
1987年(昭和62年) | 1987年4月国鉄分割民営化JR発足 | 1987年3月副会長に川元定治郎、社長に新川晧介が就任 | |
1987年3月青函トンネル開通 | 1987年9月エースラゲージ、会長に新川柳作、社長に新川晃生が就任 | ||
1988年(昭和63年) | 1988年4月瀬戸大橋開通 | 1988年4月新川柳作、日本鞄協会名誉理事長・全国鞄協会名誉会長('94.7.13まで)・大阪鞄協会相談役に就任('90.3.31まで) | 1988年3月新川柳作、相談役に就任 |
1988年8月ソウル五輪参加選手役員にエクステック贈呈 | |||
1988年6月リクルート事件 | 1988年10月エースラゲージ北海道赤平工場新社屋と第2工場が完成 |
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1988年11月上海愛思旅行用品有限公司を設立し、操業を開始(上海友誼箱包工場を合作より合弁に切換) | |||
1989年(平成 1年) | 1989年1月昭和天皇崩御 | ||
1989年1月「平成」に改元 | |||
1989年4月消費税導入 | |||
1989年6月中国天安門事件 | |||
1989年11月ベルリンの壁崩壊 | |||
1990年(平成 2年) | 1990年4月国際花と緑の博覧会開催 | 1990年4月大阪鞄協会名誉会長 | 1990年1月現行のシンボルマークを制定 |
1990年2月創業50周年を記念して、社員のシンガポール旅行が実施される(9班に分かれて2.28まで) | |||
1990年11月即位の礼 | 1990年5月上海市より感謝状 | 1990年3月大阪(商工会議所国際会議ホール)で創業50周年記念式典を開催 | |
同、東京(ROXニューオータニ会館) | |||
1990年11月年間海外渡航者初の1,000万人突破 | 1990年4月新川柳作、大阪鞄協会名誉会長に就任 | ||
1990年5月社史「50年のあゆみ」発刊 | |||
1991年(平成 3年) | 1991年1月湾岸戦争勃発 | 1991年2月米国コロラド州デンバー市の湾岸戦争中東派遣兵士留守家族を対象に10万ドルを寄付 | |
1991年6月雲仙普賢岳噴火 | 1991年3月京都妙心寺・霊雲院にて、物故社員並びに関係者合同慰霊祭を行う |
||
1991年12月ソ連邦消滅 独立国家共同体へ | 1991年9月エースラゲージ北海道赤平工場創立満20周年記念式典開催 | ||
1992年(平成 4年) | 1992年6月PKO協力法成立 | 1992年1月株式会社エースインターナショナル設立 | |
1992年8月中韓国交樹立 | |||
1992年9月学校週5日制開始 | |||
1992年10月天皇訪中 | 1992年9月松任流通センター完成・披露 | ||
1992年11月米国大統領選でクリントン氏が当選 | |||
1993年(平成 5年) | 1993年5月Jリーグ開幕 | 1993年1月米国クリントン大統領就任式に新川晧介社長(当時)と新川柳作相談役が列席 |
|
1993年6月皇太子「結婚の儀」 | 1993年3月日中英3国合弁の上海青浦愛思カールトン箱包有限公司を設立 | ||
1993年6月ゼネコン汚職発覚 | 1993年4月エース工業株式会社新工場落成式並びに創立満25周年式典を挙行 | ||
1993年7月北海道南西沖地震 | 1993年7月大阪本社ビルが完成 地上9階、地下2階 |
||
1993年8月非自民6党連立内閣発足 | 1993年9月中国における初のエース展示会を上海花園飯店にて開催 |
||
1993年12月小田原第2流通センター完成・披露 | |||
1994年(平成 6年) | 1994年6月円、欧米で初の1ドル100円割れ | 1994年9月上海市より「白玉蘭栄誉賞」を受賞 |
1994年2月台湾に販売会社として台湾愛思股份有限公司を開設 |
1994年7月彗星が木星に衝突 | 1994年3月エースグループ3社の会長に新川晧介、エースの社長に濱月清がそれぞれ就任 | ||
1994年7月異常高温の夏各地で水不足 | 1994年3月日中韓3国合弁の上海愛芙織帯有限公司(テープ工場)開所式 | ||
1994年9月関西国際空港開港 | 1994年7月韓国エース株式会社を設立 | ||
1995年(平成 7年) | 1995年1月阪神淡路大震災 | 1995年4月上海市虹口区より「栄誉区民」の称号を授かる | 1995年4月上海市虹口区に「愛思児童公園」オープン |
1995年3月東京地下鉄サリン事件、以後オウム真理教事件発覚 | 1995年10月次兄重幸 他界 | 1995年4月上海愛思旅行用品有限公司第三工場完成披露 |
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1995年7月PL法施行 | 1995年11月クリストファー国務長官昼食会開催 | 1995年12月エース物流サービス株式会社設立 | |
1996年(平成 8年) | 1996年7月O-157集団食中毒 | 1996年4月勲四等瑞宝章受章 |
1996年10月国産スーツケース1,000万本達成 |
1996年11月愛思集団(中国)有限公司を設立 | |||
1996年12月ペルー日本大使公邸人質事件 | 1996年12月長兄重信 他界 | 1996年12月上海愛思包装有限公司完成 | |
上海愛思塑料製品有限公司完成 | |||
1997年(平成 9年) | 1997年2月中国、鄧小平氏死去 | 1997年6月上海市より「上海市栄誉市民」の称号を授かる |
1997年2月上海愛和時装包有限公司完成 |
1997年4月消費税5%に引き上げ | 1997年4月上海松江愛思箱包有限公司完成 | ||
1997年7月英国が香港を中国に返還 | 1997年4月上海(浦東)愛思箱包有限公司 | ||
1997年11月金融機関が相次ぎ経営破綻 | 1997年4月愛思集団(中国)有限公司開業式典を上海花園飯店にて開催 | ||
1998年(平成10年) | 1998年2月長野冬季五輪開幕 | 1998年6月米国トゥミ社と販売提携契約締結 | |
1999年(平成11年) | 1999年4月日本版金融ビッグバン始動 | 1999年7月エース中国進出満20周年記念式典を上海花園飯店にて開催 |
|
1999年9月台湾大地震 | 1999年7月第1回中国エースグループ運動会を開催 | ||
2000年(平成12年) | 2000年4月介護保険導入 | 2000年3月大阪(ホテルニューオータニ大阪)で創業満60周年記念式典を開催 |
|
2000年6月南北朝鮮首脳会談 | 同、東京(東京マリオットホテル錦糸町東武) | ||
2000年7月2000円札発行 | 2000年3月社史「TODAY&HISTORY」発刊 | ||
2000年3月新川柳作自伝「報恩感謝をカバンに託して」発刊 | |||
2001年(平成13年) | 2001年1月中央省庁再編 | 2001年10月松任市(現・白山市)より「顕彰者」表彰を受賞 | 2001年7月エースラゲージ北海道赤平工場創立満30周年記念式典開催 |
2001年4月家電リサイクル法施行 | |||
2001年9月狂牛病問題発生 | 2001年11月赤平市より「名誉市民章」を受賞 | 2001年8月福岡店が移転 | |
2001年9月米国で同時多発テロ事件 | |||
2002年(平成14年) | 2002年1月欧州、単一通貨「ユーロ」流通 | 2002年4月商品情報システム「ASES」がIT化の先駆けとして稼動 | |
2002年5月新川晃生、大阪鞄協会会長に就任('14.5.25まで) | |||
2002年5月上海愛思織帯有限公司完成 | |||
2002年5月サッカーワールドカップ 日韓大会開催 | 2002年11月中国愛思集団物流センター完成 | ||
2002年9月日朝平壌宣言 | 2002年12月情報共有化システムスタート | ||
2003年(平成15年) | 2003年2月SARS発生 | 2003年6月株式会社トゥミジャパン設立 | |
2003年3月イラク戦争開始 | 2003年8月大阪-東京間のテレビ会議システムスタート | ||
2004年(平成16年) | 2004年8月アテネ五輪開幕 | 2004年3月中国エース本社ビル完成披露式典、展示商談会同時開催 |
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2004年10月台風23号襲来豊岡水害 | 2004年3月第2回中国エースグループ運動会を開催 |
||
2004年10月新潟県中越地震 | 2004年5月新川晧介、全国鞄卸商業連合会会長に就任('12.5.25まで) | ||
2004年11月新紙幣発行 | 2004年9月新ブランド「プロテカ」発表会開催 | ||
2004年11月中国進出満25周年記念式典を有馬グランドホテルにて開催 | |||
2005年(平成17年) | 2005年3月愛知万博開催 | 2005年3月大阪、東京にて創業満65周年記念式典を開催 | |
2005年4月JR福知山線脱線事故 | 2005年9月「プログレ」ドイツ・オッフェンバッハでのラゲージショーに出展 | ||
2005年7月中国人民元2%切り上げ | |||
2006年(平成18年) | 2006年5月ジャワ島中部地震 | 2006年2月小売店支援システム「ARESS」本格的に稼動 | |
2006年3月副会長に濱月清、社長に森下宏明が就任 | |||
2006年8月日銀がゼロ金利政策を解除 | 2006年3月上海西郊愛思箱包有限公司(元カールトン工場)拡張工事完成 | ||
2006年9月中国エース品質管理センター(AQC)を中国愛思集団物流センター内に設立 | |||
2006年12月米国ゼロハリバートン社を買収 | |||
2007年(平成19年) | 2007年7月新潟県中越沖地震 | 2007年1月ドイツ「オファーマン」の日本における商標権を取得 | |
2007年7月参議院選挙で自民惨敗、民主躍進 | 2007年3月社内のエース商品情報データベース「ASES」と小売店向けの「ARESS」が統合 | ||
2007年8月74年ぶり、最高気温40.9度を記録 | 2007年4月エースジーンの中国第1号店上海世茂国際広場にオープン | ||
2007年10月郵政民営化スタート | 2007年8月エース物流サービス株式会社 ISO9001を取得 | ||
2007年12月株式会社エーストレーディング設立 | |||
2008年(平成20年) | 2008年1月創業者 新川柳作 他界 | 2008年3月創業者 新川柳作「お別れの会」をホテルニューオータニ大阪にて開催 | |
2009年(平成21年) | 2009年1月創業者追悼誌「ご縁に導かれて」発刊 | ||
2010年(平成22年) | |||
2011年(平成23年) | |||
2012年(平成24年) | |||
2013年(平成25年) | |||
2014年(平成26年) | |||
2015年(平成27年) | 2015年7月創業75周年事業として創業者生誕100年に新川柳作記念館を開館(駒形) |