母の教えと信仰
1917年(大正6年)といえば第一次世界大戦の最中で、諸物価は高騰し世慣れた男たちでさえ、妻子を養うのに苦労した時代であった。
母は父の死後、木綿生地に菜種油を塗り重ねて作る西洋合羽と、北海道へ出稼ぎに行く人たち向けの防寒合羽を、さらにのちには柔道着を作って生計を支え、4人の子供を育てた。長女の八重によると、母は必ず「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とお念仏を唱えながら仕事をしていたという。松任は古くから知られた浄土真宗王国であり、両親もまた信仰心の篤い仏教徒でした。父なきあとの母を支えたのは信仰ともって生まれた慈悲心であった。
▼10個のリンゴ
仮に今10個のりんごがあり、いくつかを他家の子供にあげるとしよう。10個のりんごの中からまず一番大きくて、おいしそうなりんごを自分用に取り、残ったりんごの中から適当に選んで他家の子供にあげるのが普通であるかもしれぬ。しかし、母はそうしたやり方はよくないと言っていた。まず一番先に、大きくておいしそうなりんごを選んで、それを他家の子供にあげる。残ったものを自分たちで食べなさいとこんこんと教えたのである。
▼ 信仰数え歌
一つとせ 人は心のもち方で、幸と不幸がわかれます。
二つとせ 冬の次には春がくる、海路の日和を待ちましょう。
三つとせ 身を切るような苦しみも、あとじゃ楽しい語り草。
四つとせ 世には不幸な人がある、くらべりゃ私はまだ果報。
五つとせ いつでも陽気に暮らします、笑う門には福来る。
六つとせ 昔は昔、今は今、時の流れに沿いましょう。
七つとせ 情と情とで結ばれた、清き町を作りましょう。
八つとせ 山坂多き人の世は、仏の道の道しるべ。
九つとせ この世の苦労は、前の世の己の作りし種なるぞ。
十とせ 遠いと思いし極楽も、悟ればこの世にも現れる。