新川柳作記念館 Ryusaku Shinkawa Memorial

ACE

かばんとの出会い

心斎橋筋(昭和7年頃)

勤め先を探さねばと思い、兄に連れられて大阪の道頓堀や心斎橋筋の商店街に出かけました。

商都大阪の象徴でもある街だけあって、ショーウインドーの陳列品は何を見ても珍しく、ここが大丸さん、ここが十合さんと教えられるたびに、私は目を丸くして大きな建物を見上げていました。今はその面影だけを残している心斎橋も、当時は長堀川の水に影を映していた。やがて、船場という静かなたたずまいの問屋街に入り、電車通りを越えていくと赤レンガの店舗が目についた。近づくと、その前に「小店員募集」と木札が下がっている。

そして、この木札こそ、私を「かばん」という天職にめぐり会わせてくれた、運命の木札だった。

兄が木札を見て「ちょっと尋ねてみよう」と言って店に入っていき、しばらくして私を呼びにきてくれた。

『鞄曩卸・株式会社加藤忠商店』に、兄について店内に入った私は、まず対応に出た店員の言葉に少々びっくりした。

「ああそうでっか、ちょっと待っておくれやす」という耳慣れない大阪言葉で、私はどぎまぎしながら案内されるまま応接間に通されてしばらく待っていた。私の前にお見えになった方は威厳のある若い紳士で、のちに加藤忠商店の社長になられた加藤賢太郎様であった。

私に代わって兄がいろいろと答えてくれた。私には「何が好きか」と聞かれたので、「自分はそんなに勉強していませんが、歴史が好きです。伝記物の本を読んでいます」と言っただけである。加藤賢太郎様から「結果はいずれ通知します」と言われ、私たちは店を出たが、質問があまりに簡単なので、採用は半ば諦めていた。1 週間ほど経ったある朝、1 通のハガキが届きました。

加藤忠商店からの採用通知でした。ああ良かったと嬉しくて、母に採用になったことを知らせると「良かったね。本当に良かった」と笑顔でいわれた。

ごく短い時間の面接が、私の一生の事業となった鞄との出会いとなったのです。