加藤忠商店
1931年(昭和6年)4月21日、緊張とうれしさを胸に加藤忠商店に、社員として入社した。
この日は、私が商人として出発した日でもある。
当時の加藤忠商店は赤レンガ3階建のモダンな店舗で船場でも抜きん出た立派な店舗であり、既に資本金15万円、社員35名の法人組織になっていました。朝の点呼のときは35番目が私でした。
当初、面食らい、とまどったのが船場言葉でした。
「ありがとう」でなく「毎度おおきに」である。また、「行っていらっしゃいませ」でなく「お早うお帰り」で、加賀弁しか話せない私には、この味わいのある船場言葉に慣れるまで、いささか手まどった。私は入社第1日目の朝礼の時から“勝造”(勝義が本名で勝造を呼び名に)を略して“勝どん” と呼ばれることになった。
入社をしたものの、しばらくの間、これという仕事の割当もなく、新米は毎日毎日ただウロウロしているだけという日が続いた。これではいけないと気づき、「何かすることはありませんか」と聞いても、先輩は「ボツボツおやり、そのうちいやというほど仕事が出るよ」と言うだけで、手持ち無沙汰の日が続いた。しかも、同年輩の新米が3人もいるのです。仕事がないことは寂しいことでした。
私は自分で仕事を見つけだすことを考えました。それは店内の掃除でした。掃除なら、新米の私でもすぐにやれるわけで、先輩の仕事の邪魔にならないように、箒と雑巾を持って汚れたところを掃除して歩きました。そのうちに、事務室の掃除も頼まれてするようになり、この掃除を続けることで毎日が楽しい日々になりました。このことは、今振り返ってもよい思いつきでした。