朝日航空株式会社での仕事
朝日航空株式会社は以前はミシンを作っていたのですが、軍の要請で飛行機用の補助ガソリンタンクを作る工場に指定されていました。竹をアジロ網にした籠に漆などを塗ったもので、難しい仕事でした。
私は入社した時は前歴が商売人であることで用度係となり、工場で使う工具、事務用品の購入担当を命ぜられました。毎日、金沢や時には福井県の武生市などへ工具や事務用品を探し求める多忙な日々が続きました。
入社の頃、材料の竹は能登地方から購入していたのですが、私の故郷の松任に近い鶴来町出身の山崎さんが担当で、降雪の中を草鞋履でよく能登に行かれました。前歴が写真屋さんの山崎さんは購入関係の仕事が元来不向きのところへ材料の竹不足も手伝って、だんだん入荷が少なくなり、私も仕入係となり山崎さんに協力するようになりました。
そのころ郷里の松任高等女学校の校舎も朝日航空の分工場となっていたのですが、ここでも材料の丸竹が不足していました。私は竹を求め兵庫県豊岡から熊本、大分あたりまで出張することになりました。豊岡へ行く前に、大阪へ立ち寄り道修町を訪れたのですが、あの活気に溢れていた薬の街も、本当に灯が消えたような静かな街に変貌しているのに驚いたものです。
訪れた豊岡の工場内では竹でランドセルを作っておられました。大変な時代を迎えたものだと感じました。当時のものを一個でもサンプルに残しておけば、よい参考品となったのですが、今思うほどその時は心の余裕もなかったのです。