終戦
8月15日、その日は関東地方は快晴でした。千葉の上空は、米軍機の独り舞台でなすがまま、日本はもう駄目だと感じた次第です。
私たち兵隊は普段通りに山仕事をしていました。そこへ村人たちが涙を流しながら、「戦争が終わったぁ!」と知らせにやってきました。「兵隊さん、戦争が終わったよ。今日、天皇陛下の玉音放送で、戦争が終わった」と知らせてくれた。山へ行っていた作業部隊は、ぞくぞくと帰ってきて「やっぱり本当だったんだなあ」という始末でした。しかし、夜に兵舎へ集合し終戦の通達などがあったのですが、その時若い将校は「戦争がすんだといってもこれからはじまるのだ。たるんだりしては駄目だ」と、はっぱをかけられたりしました。
戦争で死ばかりを考えていた私は、やれやれと思うとともに、死んでいった多くの戦友に思いを馳せました。終戦の翌々17日のことです。千葉市に出かける戦友に、私は紙幣を渡して使えるようだったらなんでも買ってくるように頼みました。帰ってきた戦友の、「お金は十分使えるよ」という返事に安心しました。
終戦から約一ヶ月間、軍隊が解体され召集解除になるまで高尾村にいましたが、終戦の翌日から戦時中、節食、節食の日々でしたが、貯蔵食糧が放出され、日々の食料は質量ともに大変よくなり、解除まで残務整理や畑での芋掘りといった作業をしました。