求めればあるもの
眠れぬ一夜を明かした私は、叔父から自転車を借り、金沢への11キロの国道を走った。
金沢には三越百貨店がある。私はとにかく三越へ行ってみよう、それしかなかった。なぜ三越だったのか。それは1928年(昭和3年)、ちょうど私が小学校卒業の頃、三越が小店員を募集しており、友人と2人で応募したことがあった。その時は友人だけが採用された。そんなこともあって、もう一度、三越へという思いが強かったのである。しかし、私の希望はそう簡単には達せられなかった。三越では中途採用の予定がなかったのだ。
とはいえ、どうしてもその日中に職を見つけなければならない。そこで気づいたのが当時の職業紹介所、口入れ屋であった。
私が口入れ屋の紹介で訪ねた先は、金沢市材木町(現 扇町)の造り酒屋・柄崎屋さんであった。しかも「明日からでも」と言われ、私は欣喜雀躍して、これで母に安心してもらえる、喜んでもらえると、意気揚々として帰路についた。