新川柳作記念館 Ryusaku Shinkawa Memorial

ACE

創業当初のころ

創業時の新川柳作(昭和15年)

昭和15年1月1日、大阪の正月はいつも素晴らしい天気に恵まれます。私は高揚した気持ちで、独立を支えてくださった方々の支援に感謝しつつ、「かばん製造卸業・新川商店」としての活動を開始しました。創業するにあたり、長兄の重信に相談したところ、手伝ってやろうということになり、私と兄の二人ではじめました。機動力といえば中古の自転車 1 台のみでした。

初仕事は年の暮れにわけていただいたベルトの端物整理でした。ただ端物といっても、皮革統制前に作られた、素材、仕上げともに素晴らしい物です。これを 3 ランクに分け、長短を揃えて半ダース入りの箱に整理すると立派な商品になりました。いよいよ整理を終え、さてどこへ販売するか思いめぐらせているうちに、中之島にある日本窒素肥料株式会社の社名がふとひらめきました。

加藤忠商店にいた時に、何度かお伺いしたことがありました。あの会社なら社員も多いからベルトが必要であろうと思い、サンプルを手に私は中之島へ急ぎました。結果は予想通りで、即座に「全部もらおう」と言われ、大箱 3 ケースのベルトを全部買って下さいました。初めての商売は本当に幸運でした。その後も日本窒素肥料株式会社との商売はスムーズに進むことになりました。

次の課題は、大野様が融通して下さった 2,000 円の資金をいかに生かすかでした。私は協力していただく工場へまず手付金としてそれぞれ 500 円ずつ、4 工場に分けてお預けし、1 工場から倍の 1,000 円の商品を納めてもらうという提案をしました。皆さんは喜んで引き受けて下さいました。当時、商品不足がかなり深刻化していた状況下で、商品手配のめどがつきました。私が選んで作って頂いた商品は、好調そのものの売れ行きで、お得意様に喜んでいただきました。「かばん製造卸業・新川商店」は、こうして順風満帆の出発となりました。