新川柳作記念館 Ryusaku Shinkawa Memorial

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創業へ

創業へ 1939年(昭和14年) 大野二明様

7月に加藤忠商店を退社したものの、とりあえず住居を探さねばなりません。時勢とはいえ修業半ばで退社してしまったのですから、兄の家へは帰れなかったのです。

退社については長兄の重信はどうにか了解してくれましたが、次兄の重幸は、どうしてやめなければならぬのかと言って、許してくれなかったのです。

幸いにも宝塚の友人の厚意で下宿人として住まわせてもらうことになりました。友人のお母さんが大変良い方で、快く私を迎えて下さいました。宝塚という郊外の風景は、都心の船場にいた私には美しく感じられ、日々もったいないほどの生活でした。

友人宅へころがり込んだ2ヶ月後、急に彼の結婚話が出て、私は近所に引っ越しました。数日後、たまたま加藤忠商店の女子事務員さん達が、ハイキングで家の前を通り、懐かしさから色々と話をしました。会社もボツボツ整理をするとか、代用皮革の商品ばかり扱っているとか、暗い話の方が多かったようです。しかし、11月になると禁止になっていた皮革製品の統制が多少緩和され、在庫品は販売してもよいということになり、代用品の素材も次から次へと開発され出しました。業界が再び活気を取り戻しつつある現況を知ることになりました。

私も働かねばならぬと思っていた矢先だったので、無鉄砲のようでしたが僅かな荷物をオート3輪に積んで大阪へと出ました。幸いにも大阪市天王寺区谷町に手頃の借家を見付けることが出来たので、カバンの商売をはじめることを決心しました。

家も決まり旧知の村上商店の大野さん宅へお伺いし、色々と独立へのご相談をしたのでした。大野さんは大変親切な方で、資本金として2,000円の現金を融通していただき、そのうえベルトの端物のストックをわけていただきました。資本金も出来たので、早速30円の自転車を求め、昭和15年の元旦を期して個人経営の新川商店を創業して、独立の第一歩を踏み出しました。