制作の決心~展示会に出品
もし、東レさんのナイロンが国内で生産出来ず、外国産ナイロンが大量に輸入される事になれば、日本の繊維産業は崩壊してしまう。しかし、東レさんのナイロンを使ったバッグが商品化されれば、カバン業界全体の大きな発展にもつながり、僅かながらでも東レさんのお役に立てる!まずナイロンを使う事を始めよう。
それを私がやらねば誰がやる!と使命感に溢れた思いが込み上げ、ナイロンバッグを手掛ける決断をしたのです。
1953年(昭和28年)3月1日、東京にいた私は、大阪の本社へ電話をつなぎ、日精商事さんに「是非ナイロンバッグを作らせてください」と伝えるように指示すると共に、ナイロンバッグの見本作成に即刻着手しました。
このとき私は日精商事さんへのお返事が遅くなったことを、大変申し訳なく感じていましたし、また出来上がったナイロンバッグは、世の中に受け入れてもらえるものか、という大きな不安も同居していました。
しかし、そんなところに大丸大阪店さんから、ナイロン大展示会を開くので、展示見本のナイロンバッグを作って欲しいと連絡がありました。私は、偶然にもこのタイミングにナイロン製品のご注文をいただけたことに感謝の気持ちで一杯になりました。