造り酒屋で丁稚奉公
日本中が世界恐慌にあえぎ、各地で首切りや賃金カット反対運動がくり広げられているなかで、奉公先が見つかったのは不思議であった。
造り酒屋奉公は相当きびしいものであったが、私にとっては素晴らしい勉強の場になった。
造り酒屋は、秋が深まりゆく季節から戦場と化す。当時、柄崎屋には能登地方から何人もの杜氏を迎えていた。杜氏が仕事を始めるのが午前4時。
当然、住み込みで働く柄崎屋の私たち店員もまた早朝4時前には起きて、杜氏の指示のもとで忙しく立ち働くことになる。
丁稚である私の仕事は、まず一升瓶洗いからだった。これは私が経験した初めてのきびしい仕事で、秋風が日中でも身体にしみる北陸の早朝4時前に起きること自体が辛いところへ、手がちぎれそうになる冷たい水仕事だった。柄崎屋さんでは先輩の店員さんがとても親切で「かわいい弟が入ってきた」と何くれとなく面倒をみてくれた。お陰で丁稚奉公につきものといわれていた辛い思いを、あまり味わわずにすんだ。