水泳に打ち込んだ日々
母のもとに戻った私は、その年の秋に松任尋常高等小学校の高等科1年への編入学を認められて通学することになった。
もう周囲に神経を遣う必要もなく、私は解放された気分を満喫し、勉強もさることながら今度は水泳に打ち込んでいった。
当時、松任小学校には前年に完成したばかりの50メートルの公式プール、5メートルと10メートルの高飛込み台、1メートルと3メートルのスプリング飛込み台を備えたものである。私はスプリング飛込みとハイダイブ飛込みに熱中した。もちろん最初のうちは失敗つづきであった。しかし好きこそものの上手なれで、放課後は毎日毎日がダイビングの練習で、たちまち上達した。
当時、石川県下では県郡の金沢市も含めて松任のほかに公式プールがなかった。夏休みになると数多くの大学生や中学生が練習に来た。私のライバルは金沢第三中学校の中田さんと福島さん、柴原君だった。
柴原君はオリンピック選手として、ベルリン大会で活躍した柴原恒雄氏である。