新川柳作記念館 Ryusaku Shinkawa Memorial

ACE

九州への出張販売

後列右から2人目(昭和12年)

私が22歳の時、九州地区の販売を担当していた先輩が病気になり、ピンチヒッターとして九州へ出張販売に出ることになりました。

当時、加藤忠商店では初めてのセールスは先輩と2人連れと決まっていたのですが、私は経費節約の上から1人で十分と思っていました。2人で行っても注文は同じだから1人で行くことを考えていたのです。実はこうした日もあろうかと日頃から準備をしていたのです。地方から展示会等で来訪のお客様とは、できるだけ顔見知りとなることを心掛けていたのでした。そのことが大いに役立ち、私の顔を覚えてくださった方も多く、仕事も順調にこなすことができたました。

2回目の九州出張のときでした。下関と門司の間を結ぶ関門連絡船上のことです。急に博多へ用事があってお越しになった加藤社長と、たまたま一緒になりました。

その船上で加藤社長が「勝造、九州出張もよいが、お前が店にいないとどうも内部のことが判らぬので困る。出張員は別の人を選ぶから、もう出張せんでもよい」とおっしゃいました。私は以前にも奈良、和歌山のセールスを担当したことがあり、その時に自分はセールスは適任でないと、加藤社長にお話しをしたことがありました。社長のお言葉に、心からうれしく船上で思わず頬に涙が伝わるのを禁じ得ませんでした。

こうして私の九州出張は2 回で打ち切りとなり、内勤に戻り仕入れに生産にと専念することになったのです。