新川柳作記念館 Ryusaku Shinkawa Memorial

ACE

加藤忠商店を退社

加藤忠商店時代の仲間と再会(昭和41年)

昭和13年4月に「国家総動員法」が公布されました。

電力、工場事業場など、あらゆる産業が国家に管理されることとなり、同年8月には「皮革使用制限規則」が施行され、牛、馬、羊などの皮革類は軍需品となり、一般の使用は全面的に禁止されました。従って、鞄の原料も絹革といった代用皮革が作られました。

布加工品、紙、アザラシなどの代用資材が使われるようになりました。

ただ加藤忠商店は皮革製品のみを扱っていただけでなく、この試練の時でもその他の商品で十分に商いを続けていけましたが、これまで通りに多くの店員、社員を抱えていくのは誰の目にも困難と映りました。この際、私一人でも先に身を引く方がよいと考えて退社を申し出ました。すぐにはお聞き届け願えなかったが、時が時だけに仕事も少なく、手持ち無沙汰の日々が続いたので、再度お願いしてお許しをいただきました。

昭和6年4月21日の入社以来9年間、お世話になった会社を時勢とはいえ退くことになったのです。西も東も判らぬ大阪へ来て、長年にわたり今日まで何の不自由もなく、日々を楽しく過ごさせていただいたお店、社長ご夫婦をはじめ幹部の方々、先輩の方々の愛情あふるる教育を賜り、曲がりなりにも鞄に生きる道をひらいていただいたご高恩を思う時、感激ひとしおのものがありました。ただ、これからの身の振り方を心配せざるを得ない当時の私でありました。漠然と、まだ商売が出来たのは繊維業だったので、繊維関係の仕事へでも転身しようかと考えていたものの、具体的に決めていなかったのです。