思いやりの大切さを知る
私の丁稚奉公は周囲の人たちの温かい心配りのなかで順調に滑り出しました。
金沢の街に粉雪が舞いはじめる頃には、私はもう一つの仕事を受け持つようになっていた。
お得意先に自転車でお酒を配達するという仕事だった。
金沢は兼六園を囲むようにして森の都を形成している。この森の都はまた坂の多い街で柄崎屋は賢坂辻というだらだら坂を下りたすぐ角にあった。そのため小立野台地の得意先へ行くには、どうしても馬坂という急坂を上らなくてはならない。これには少々難渋した。
自転車の荷台に何本もの酒瓶の入ったケースを積むと、重量が後にかかってくる。自転車のハンドルを浮かさないようにして坂道を上るには、相当のテクニックが必要だった。ことに雪が降った日は大変であった。そうしたある雪の日のことであった。
お酒の配達になれ、雪の坂道にも慣れたことで、注意が散漫になっていたのだろう。配達の途中、荷台に積んだ酒瓶のケースを空にしてしまった。それもいつ落としたのかもわからず、荷台が軽くなっているので振り返ってみたら、一本残らず抜け落ちていた。迂闊にもほどがあるという大失態だった。泣くに泣けない情けない思いとは、まさにこのことで、雪道に自転車を立てて思案に暮れた。私は半ば無意識のうちに、酒瓶を一本残らず落としてしまった言い訳を考えていたが、私の心得をたしなめるべく母の顔が浮かんだ。私はもうお詫びするほかにない・・・・。
お店に帰った私は番頭さんにことの次第を報告し、恐る恐る、「すみません」と頭を下げた。するとどうであろう、番頭さんは私を叱るどころか、至極あっさりと「ああ、そうか」と受け流したあと、「もう一度、気をつけて行ってこいや」と別の酒瓶を用意してくれた。
思いやりがいかに大切であるかを教えられた。