植野家より暇をもらう
植野家では、店員は私と先輩の番頭さんが一人の二人切りでしたからのびのびしたものでした。
商売といっても午前中に番頭さんに連れられて金沢市内のお得意先へ、足袋の注文を取りにゆき納品に廻るのが仕事でした。
夕方になると金沢中学校夜間部に通学するのです。
日常の仕事は忙しくなく、のんびりとやっていたのに、学校で授業が始る頃、昼間の疲れかよく居眠りをしていた。一番前の机にすわっていてあまりよく眠るので、担任の先生も起すのをあきらめておられたのでしょうか、英語などは六ヶ月間通ってリーダーの二三頁を覚えたに過ぎませんでした。結構づくめの植野家の生活は、長くはつづきませんでした。
半年後の昭和3年秋にはお暇をもらわねばならぬことになったのです。