進学を断念
1928年3月義務教育をおえて松任小学校を卒業しました。家庭の事情からも末子の私まで上級学校への進学は望めぬことでした。
後年母から家の事情を打ち明けられるまでは判るわけもなく、上級学校への進学を断念したとき、私自身のことよりも、心から母が気の毒に思えました。
「自分は進学に何の未練もなくあきらめます、どうか心配しないでください、大丈夫です」「お母さん、いつまでも元気で長生きして下さい」と夜半床の中ではじめて涙を流しました。
それからの私は、理性を超えた本能的な母への愛情とでもいいますか、母が喜ぶような人にならねばと心に誓い、それを一生の生き甲斐としてきました。