新川柳作記念館 Ryusaku Shinkawa Memorial

ACE

やむなく自主廃業

伊吹山にて(昭和18 年)

私は創業3年7ヶ月で自主廃業へ追い込まれました。

時の東條内閣は戦争遂行のために戦力増強企業整備要綱決定、工場法戦時特例公布、さらに国民徴用令改正公布など、総力戦のための施策を相次いで打ち出してきました。また「戦時体制下の商業活動規制」も断行され、私のところにもできるだけ早く事業を整理するよう申し入れがありました。

この頃には、カバンを作ろうにも肝心の材料がほとんどなく、皮革から布地に、布地から紙質へと素材が低下し、カバンとして使用できるものを作れないという状態でした。カバン作りを天職と考え、カバン作りに生命を懸けてきた私としても、もはやこれまでと断念するほかなかったのです。

昭和18年7月、私はついに廃業の届けを出しました。

振り返ると昭和15年1月1日に独立し、創業して以来、短い期間でしたが、予期した以上の成果をあげ、多額納税者という栄誉も入手していました。それで自分なりに精一杯やったのだからと自分で自分を慰め、納得させて自主廃業に踏み切りました。