商都大阪へ
都会といえば金沢しか知らない私には、その風景は驚きでした。
当時の大阪駅は赤レンガ造りで駅前には土産物の店がずらりと軒を並べ、盛んにお客を呼び込む声がして、駅裏側の旅館街や人力車、タクシーなどの風景すべてに驚くばかりでした。
幸い、兄に迎えられて大阪駅より阪急線の淡路駅までの郊外風景は、思いもかけず素晴らしく、豊かな風景を眺めながら兄の家に着きました。ここでしばらく母とともに生活をしていたのです。大阪の淡路は北陸と違い雪が降らず、雪国で育った私にはまさに別天地でした。
父亡き後、苦労の連続であった母にとって、心なごむ日々でもあり、食事を作る母の手伝いをすると母がいかにも幸せそうな表情をしていました。
それも長兄のお陰だと、しみじみ感じていました。