母への思い
父に先立たれた母は一生信仰に生き、愚痴一ついわず黙々として、四人の子供のために一家の生活を支えてくれました。
その生活態度は苦しい中にありながら、自分は食べなくても人に施すのが先といった慈悲心に徹していました。私が松任商工学校を中退して、金沢の酒屋への奉公口を探して夕刻帰ったときも、その結果がどうだったと聞くよりも「話はあとにおし、おなかが空いたろう。早く夕飯をおあがり・・・」といって、食後はじめて酒屋の奉公先の話しをしましたが、あまり嬉しそうでなかったようでした。
母は少年の私を奉公に出すことのふびんもあってか、いよいよ小さな荷物を手に家を出るとき、涙で赤く濡れた瞳で見送ってもらったことを、今だに思い出されるのです。
こうした母であったので、私の母への愛情は一層強くなってゆきました。