母と2人旅
1931年(昭和6年)数え年17歳の春、母と二人で兄のいる大阪へ旅立ったのです。
私は母に伴われ、郷里松任駅を夜行列車で後にしました。これまで母とともに長い汽車の旅などしたこともなかったので、寂しい思いはなく、むしろ心のはずむ思いでした。これから未知の大阪へ出ての奉公を思えば、多少の不安感はあったにしても、兄が大阪にいるということ、母との旅であるということで楽しい旅でした。しかし、母の眼から17歳の私は依然として子供であり、少年のころから他家へ奉公に出し、今また生存競争の激しい大阪商人の中へ、もまれに出すことに思いを馳せられてか、私がいろいろと話しかけても口数は少なく感ぜられました。母は幼児より住み慣れた郷里をあとにすることでいろいろの思いがあったのでしょう。
私は母の心をほぐすため「大阪は未知の土地ではあるが兄さんがいるから心強い」などと話すうち、母も「そうだね兄弟が近くにいて頼り合えるのは気丈夫だね。お母さんもいくらか気も楽に思えるよ」などと、ニッコリ話されるようになりました。
松任から夜行列車で大阪には夜明けとともに着きました。