夢の実現 北海道赤平工場
小田原工場では、売れ続けるスーツケースの生産能力が限界に近づくも拡張は困難なことから、以前より熱心に誘致を受けていた北海道赤平市から用地を譲って頂き、新工場建設に取り掛かりました。当時は炭鉱閉山が相次ぐ北海道でしたが、心を惹かれたのです。亡父の作る西洋合羽が、郷里北陸から北海道へ出漁する漁師間で重宝がられたこと。サムソナイト社があるデンバー市と緯度がほぼ同じこともあったでしょう。広大な敷地に青々とした芝生や花が咲き誇る、デンバー工場をモデルに理想的な工場づくりを計画したのです。
1971年(昭和46年)5月に竣工、8月操業開始。間もなく第2期工事に着手、1973年(昭和48年)1月竣工。1976年(昭和51年)9月、第3期工事竣工を機に小田原工場の人員と設備を赤平工場へ移転しました。小田原工場は15年の歴史に幕を下ろし、1979年(昭和54年)6月より小田原第2流通センターとして再出発しました。1988年(昭和63年)10月、新社屋と新第2・第3工場を建設し、日本最大最新鋭のラゲージ工場となったのです。
これも地元の皆様のご協力とご支援の賜物であります。 合掌。